秘書と電話と

政治家の秘書とかしてました。

なぜ政治家秘書を辞めたのか

割と天職に近いと思っていたのですが、家庭の事情により転職することになりました。

書くことのできる事情ばかりではないのでフェイクを入れて書いていきます。

 

1.父が病気で倒れた

父は自営業をしており、家族経営の小さな会社を営んでおりました。

父が営業をし父の弟である叔父が製造をすることで回る程度の小さな会社です。

 

そんな父が倒れたと連絡が入り、病院へ駆け込みました。

幸いにして命の危険は早期に脱し退院も可能な病状ですが、後遺症を含めて以前のように

働くことはできない体となってしまいました。

その間会社は母と叔父の努力でなんとかまわっておりましたが、父が帰っても介護の負担も増える中で経営は大変な局面に達していました。

加えて、父が倒れた後にわかったことですが父の資金繰りはあまりうまくいっていたとは言えず、利子の高い金融機関からの債務等も多くその整頓は急務でした。

 

幸いにして法的にも経済的にも知識があった為、仕事の傍ら会社の債務整理にも取り組みましたがとても時間が足りず、最終的には秘書の仕事を辞して民事での裁判にて債権整理を行いました。20代前半の若造が大手金融機関を相手に裁判を起こしたり、内容通知を送ったりして結果的にトータルで4桁万円程度の負債を綺麗に清算することができました。*1

 

これにより月々50万ほど返済していた支払いが、約30万以下まで下がり大分資金計画はクリアになってきました。しかし、その上で家族が決して表沙汰にはできないトラブルを起こしその家族を切るか、自分を切るかを父と母に求めました。

 

父の言った言葉を今でも忘れません。

「お前はどこへ行ってもやっていけるだろうが、○○には無理だ。俺が面倒をみなきゃならん。」

 

経営者として人間として今でも父を今でも尊敬しておりますが、父には損切りができなかったのです。このままこの地に留まっては今回の様に最終的な後始末を自分がすることになるのを悟り、この地で政治家になるという夢も諦め妻と子供だけになった家族を連れて行き先を地元の友人にも親族にも伝えずに別の地へと転出することとしました。

 

転出を決断した当時は常時胸が精神的ストレスで痛くなり、髪の白髪も年齢にしてはありえない程増えました。加えて拠り所のない土地で一から生活を作り上げていくことは本当に大変でした。

 

これで自分の政治家秘書を辞めた話は終わりです。

*1:300万の債務を0円にし、400万円の債務不履行を取り戻しそれをそのまま別の返済に充てました。トータル1,100万円